多くの哲学者の頭を悩ませた「神の証明」に関して、パスカルの実用的な考え方をご紹介します。
哲学は意味が分からないですし、何の役に立つかもよく分かりません。何の役に立つか分からないものを知って、人生の役に立つ何かにつなげることができるといいですよね(遠い目)。
【パスカルって誰?】
17世紀のフランスの哲学者、神学者、数学者、モラリスト
著書の『パンセ』、「人間は考える葦である」という言葉が有名
(パスカルの発明)
数学:パスカルの三角形、サイクロイドの求積問題、パスカルの定理、確率論
工学:歯車式計算機
物理:パスカルの原理
社会:5ソルの馬車(乗合馬車の発想、現代のバスや電車などの公共交通機関にもつながる)
哲学:モラリストとして活躍、キリスト教弁証
【「神の存在証明」の類型】
キリスト教文化圏では、キリスト教の神の存在を証明することに多大な関心を持つ。
カントは「神の存在証明」の方法を4つに分類した。
①自然神学的証明
宇宙の構造や物理法則の持つ「最も卓越した秩序づけとその諸関係の完全性」は偶然ではあり得ず、神という超越的な存在が必要不可欠である。
②宇宙論的証明
物質が0から生まれることは無く、「物の根源的素材である物質」、すべての物の原因である神が必要不可欠である。
③存在論的証明
「神はその現存在の根拠を自らのうちに持つ」→「神は存在するから、存在する」
→「宇宙論的神学」「存在論的神学」は根源存在としての神を論じる理神論、
「自然神学」「道徳神学」は実際に存在する神を論じる有神論と呼ばれる。
④道徳的証明
「理性の単なる思弁的使用のすべての好みは不毛で…空虚で虚無である」ので、神の存在が証明されても、神の存在が何かに活用できなければ意味がない。
道徳神学では、神の存在が「この世界におけるわれわれの使命を果たすために使用される」とする。
→理性の要請としての神の存在(勧善懲悪的な)が証明される
【パスカルの「賭けの理論」】
神が存在するという側に自身の生命を賭ける。
勝つと永遠の救済を得るが、負けても何もない。
神が存在しないという側に自身の生命を賭ける。
勝っても何もないが、負けたら永遠の救済・幸福を失う。
したがって、神を存在すると信じる方が得である。
「哲学的な思弁」は空虚で、実用的な価値を見出すのも大事な選択である。
神を存在するかどうかの議論を保留して、実用的な人生の選択を考えることに価値がある。
神の存在は日本人には縁遠い問いかもしれません。
より私達にとって実用的な問いである「宗教とはどのような意味があるのか?」や「私達の道徳や信念という不確かなものは、信じる価値があるのか」、そのような問いを考える一助となれば幸いです。
(参考)
森哲彦(2007)『カント批判哲学の神の存在証明』名古屋市立大学大学院人間文化研究科『人間文化研究』抜刷 8号
https://ncu.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=184&item_no=1&page_id=13&block_id=17
ジョン・ヒック(2019)『宗教の哲学』ちくま学芸文庫