【歴史】人物理解と構造主義

誰かに対する世間の評判を見て「なんか違うな?あ、構造主義の考え方か」となったことがあると思います。私はありません。

ということで(?)、私が史学史を学ぶ際に並行して学ぶことができた「構造主義の考え方」が「人の評判」にどのように関係するかを紹介いたします。

【構造主義の考え方】

人間と環境の関係については、「神様中心」から「人間中心」に変化したが、そこから「環境から強い影響を受ける」というような考え方も発生した。

15c.芸術のルネサンス「文芸復興」(キリスト教的な神様中心の世界観からの脱却)

18c.哲学者カントによる理性中心主義 ⇒主体性のある人間のすばらしさ

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戦争などの人間の理性の暴走を経験し、反人間主義が発達

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構造主義

人間の主体性は微々たるもので、その人間の属する社会的・文化的なシステムによって人間の行動や思考は決定づけられる

※現在は構造主義の思想(環境が人間をつくる!)よりも、「構造にも目を向けよう」という手続きとして構造主義の考え方は使用されている

※サピア=ウォーフの仮説「その人の認識・思考はその人の使う言語に影響を受けるという説」:サピアも著名な言語学者であり、ソシュールが初期の構造学に影響を与えたように言語学と構造主義の考えは親和性が高いかもしれない

時代ごとのイデオロギーを無視して、その人を評価することはできない

と構造主義の考え方を使用すると言えるのではないか?

例)「奴隷制はよいとする考え方・イデオロギーのある古代」

  アリストテレスは奴隷制を良しとしていたが、それをすべて否定することができるか?

   ⇒職業としての奴隷があったのであれば、分業化として受け入れることができる?

   ⇒今より便利でない生活で、奴隷制が無ければ、生活に余裕のある哲学者の活躍がなかった?

 ⇒「奴隷制はひどいもの」と考える現代のイデオロギーのみで判断できない

参考)地理学の「環境決定論」・「環境可能論」においても、人間と環境の関係が考えられている

【イデオロギーと個人の主張の差】

ある漫画より「正義の心と、自分の力との差。人はその差のことを勇気と呼ぶ」

正しい信念を持つことに加えて、その社会で信念を貫くために必要な差を埋める勇気を評価すべき

例)「戦時中に反戦を訴えった人」と、「戦後に反戦を訴える人」では後者の方が勇気ある行動である

「過去の事象を過去の文脈で理解する」

ドイツの近代歴史学の父 ランケ

⇒その人の信念「なぜそのように考えるのか」に加えて、その人の行動の価値「この時代にそのように行動できるのか」で評価する

「地を離れて人無く、人を離れて事無し、人事を論ぜんと欲せば、まず地理を審らかにせよ」

江戸時代の教育家 松田松陰

(意訳)環境がその人物に影響を与え、人物が事件・歴史をつくる

    人や歴史のことを話すなら、時代背景・地理を知ることが重要である

【参考:大衆心理学】

今を生きる私たちもイデオロギーの中にあるので、自分たちを分析する際も自分の属する社会・文化を認識する必要がある。

現代に生きる私たちを「大衆」であるとし、考察を深めた大衆心理学という社会心理学の一分野がある。

大衆:情緒的・受動的でシンボルなどに操作されやすい非合理的な存在

   =ファシズムの社会的基盤、民主主義の主体者

   =マンハイム「殻のない蟹」、フロム「根無し草」、ホワイト「組織人」

最後に、テーマから離れますが自分の好きな詩を紹介します。

『彼らが最初共産主義を攻撃したとき』マルティン・ニーメラー

ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった。私は共産主義者ではなかったから。

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった。私は社会民主主義者でなかったから。

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった。私は労働組合員ではなかったから。

そして彼らが私を攻撃したとき、私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった。

→大日本帝国憲法時の治安維持法について、「はじめは過激な人を規制する良い法律だと思った」と当時を生きた方がインタビューに答えていたことを、この詩を読むたびに思い出します。

理想と現行のイデオロギーの差を埋める勇気が大事で、それを評価すべきだと述べましたが、つい過去の自身の判断に流されて判断してしまうこともあります。勇気って難しいですね。

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