今回ご紹介するのは江戸時代のロックな作家である十返舎一九です。
彼のユーモアにあふれた人生を”ゆりかごから墓場まで”ぬるっとまとめましたので、ぜひぜひ楽しんでください!
【東海道中膝栗毛】
なんと言っても外せないのは、十返舎一九が滑稽本である『東海道中膝栗毛』の著者として有名である点です。
『東海道中膝栗毛』とは、江戸神田の八丁堀に住む弥次郎兵衛(ヤジさん)と喜多八(キタさん)が東海道を上り、伊勢参り&京都に行く道中を描いた作品で、今でもクスッと笑えるような面白いお話が詰まっています。
例えば私は『膝栗毛』の、五右衛門風呂の熱い鉄の底を触らないようにするための底板を蓋だと思って使わず、けど意地でも入り方が分からないと言うことができず、結局下駄を使ってお風呂に入るというストーリーが好きです。
※五右衛門風呂のエピソードは、このサイトの49ページ目にあります
東海道中膝栗毛 – 国立国会図書館デジタルコレクション (ndl.go.jp)
コトバンク「五右衛門風呂」https://kotobank.jp/word/%E4%BA%94%E5%8F%B3%E8%A1%9B%E9%96%80%E9%A2%A8%E5%91%82-498126
※「膝栗毛」は、栗色の毛並みをもつ馬の代わりに自分の足(膝)で旅をしたことから名前が付けられているとか、いないとか…
「膝栗毛」について裏取りのために検索してみると「了解道中膝栗毛」なる言葉がありました。若者言葉は難解道中膝栗毛です。
【一九の生涯】
駿河国(今の静岡県)で下級武士の子として生まれた重田貞一(さだかつ、後の一九)は、ある武士に仕えていたが19歳の時に辞職し、大阪の地で浪人となる。
浪人時代(ざっくり言うとニート時代)に浄瑠璃や香道(匂いを楽しむお香)という文化に触れ、この経験が後の創作活動のネタになった。
30歳で江戸に戻った貞一は喜多川歌麿や東洲斎写楽などの超ホットな有名人をプロデュースした江戸の秋元康こと蔦谷重三郎にスカウトされ数々のヒット作を書き上げた。
※「美人画の歌麿」、突然現れたかと思えば煙のように表舞台からいなくなった謎の浮世絵師「写楽」と言えば、日本人なら誰もが一度は見たことある「あの浮世絵」をつくった国民的スターですね。
当館について│大阪浮世絵美術館 (osaka-ukiyoe-museum.com)
そんなこんながあり、一九は『南総里見八犬伝』の著者である曲亭馬琴と共に執筆料だけで生計を立てた「最初の職業作家」であったとされる。
※私がよく忘れる八犬士と八つの玉の関係を表にまとめます
仁 | 犬江親兵衛仁(いぬえしんべえ まさし) スーパー小学生、急に登場する |
義 | 犬川荘助義任(いぬかわそうすけ よしとう) 信乃の幼馴染、かっこいい、幸せになってほしい |
礼 | 犬村大角礼儀(いぬむらだいかく まさのり) 妖怪ハンターのイメージ、幸せになってほしい |
智 | 犬坂毛野胤智(いぬさかけの たねとも) 頭脳派、女田楽師として暮らしていた、艶っぽい |
忠 | 犬山道節忠与(いぬやまどうせつ ただとも) マジシャン、胡散臭いイメージがある |
信 | 犬飼現八信道(いぬかいげんぱち のぶみち) 十手の人、信乃とお城の屋根の上で戦う |
孝 | 犬塚信乃戌孝(いぬづかしの もりたか) 主人公、子供のころ女装させられていた |
悌 | 犬田小文吾悌順(いぬたこぶんご やすより) 毛野とニコイチ、巨漢 |
【一九とお香】
一九が浪人時代に触れた香道が後世に残る彼の人生に幾度も登場する。
・「十返舎」の名は十度焚いても匂いを失わず、「十返しの香」と呼ばれる名香「黄熱香」からとった
・67歳で亡くなったが、その時の辞世の句がこんな感じだった
「此世をば どりやお暇に 線香の 煙と共に はい左様なら」
この世に、どりゃ!とお別れを。線香の煙と一緒に灰になったら、サヨウナラ。
※東京都中央区に辞世の句が刻まれたお墓があるそうです
彼の様々な世界を渡り歩いた経験が”connecting the dots”と言わんばかりに彼の人生に影響を与えていることは、現代の自分も「無駄・関係ないと思われるようなことをしっかりやりたい!」という気持ちにつながります。
【参考】
◆中央区 ここに歴史あり(64) 十返舎一九生誕250年 ~区内ゆかりの地を訪ねる~ – 中央区観光協会特派員ブログ (chuo-kanko.or.jp)